『その言葉を』

 僕は子供の頃、音楽少年だった。中学でギターとフルートをはじめ、高校でピアノをいじり、部活はずっと吹奏学部。高校の頃にジャズが好きになり、すっかりのめりこんだ。だから高校時分には、大学へ入ったら、ジャズ研に入って、思う存分音楽に邁進しようと考えていた。

 全然受験勉強はしていなかったので、とりあえず浪人して、と思っていたら、浪人しても全然勉強しなくて、毎日ジャズ喫茶に入り浸り、結果、二浪になってしまった。それで、今度はどこでもいいから大学へ入ろうと思い、運良くICUに入った。むろんICUにもジャズのバンドはあったから、そこへ入ってもよかったのだけれど、しかし、一年余計に浪人したせいなのか、すでに関心は別方向に向かっていた。と大袈裟にいうほどじゃないが、とにかく何でもいいから勉強したいという気持ちが芽生えていて、やれマルクスだ、それヴェーバーだ、とその後、10年ほど学問(というほどじゃないが)をすることになった。音楽熱がよみがえったのは、学問に見切りをつけて、小説を書き始めた頃のことで、少しずつフルートを吹いたりなどしはじめ、バンド三昧のいまに至っているわけだ。

 この作品の「僕」は、いってみれば、二浪せずに大学へ入った、もうひとりの僕である。つまり小説中の「僕」は、一浪して大学(早稲田らしい)へ入るや、まっしぐらにジャズ研に突進し、四年間を音楽三昧で過ごす。そして四年できちんと卒業して、大きくない広告代理店に就職する。実際、一浪の段階で大学へ入っていたら、僕もそんなふうな履歴をたどった可能性は高いと思われる。って、分かりませんけどね。

 小説の表題「その言葉を」は、Say It Over And Over Again の訳である。これはいうまでもなくジョン・コルトレーンの『バラード』のA面一曲目。この曲はコルトレーンの演奏では有名だけれど、他ではあまり聴かれないのはどうしてだろう。僕はジャズの演奏シーンや曲名が出てくる小説をたくさん書いているが、ここには、一番僕自身に近い、ジャズとの関わり方が書き込まれていると思います。もっとも、小説中の「僕」はドラマーで、楽器が違いますが。

 考えてみると、僕はドラムという楽器に憧れていた。というか、いまも憧れ続けている。繊細さと野蛮さとの振幅の大きさにおいて、ドラムにかなう楽器はまず見当たらない。ことにフルートは音が小さく、ジャズではどうしても物足りないものがある。もし僕が高校時代にドラムをやっていたら、二浪後にもやはりジャズをやっていただろう。ドラムはそれくらい魅力的だ。つまり「僕」はドラムを叩く僕でもあるのでした。

 この小説は奥泉光のデビュー作である(この作品ではじめてこのペンネームを使用した)。無風といわれた70年代の青春が鮮やかに描かれた作品、って、自分で書いてて恥ずかしいかといえば、全然恥ずかしくない。そんなことくらいでいちいち恥ずかしがっているようでは、作家なんかやってられないのでした。これが「すばる」に発表されたとき、中上健次が当時文芸時評を連載していた「ダ・カーポ」で褒めてくれました。

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