『蛇を殺す夜』

 書いた本人は傑作だと思っているのに、読者、批評家からは一顧だにされない小説の典型のような作品である。こういうことはよくあるので、作家が何故なんだと、りきむことくらいみっともないものはない。それにしても、なんでこんなに評判悪いんでしょう。この小説は、「暴力の舟」という作品とカップリングして一冊の本にしたのだけれど、僕は表題作は断然「蛇を殺す夜」だと思い、そうしたら、どうして「暴力の舟」の方を表題にしなかったのかと咎められた。
それにしても、なんでこんなに評判悪いんでしょうね。

 こういうことは書いた人間がいうべきじゃないとは思いますが、どっちみち誰も読んでいないと思うので、自棄でいうと、この作品は谷崎潤一郎の『吉野葛』が下敷きになっています。っていわれても困ると思いますが。

 ちなみに家のツマは、これを「へびころ」と呼んで、忌み嫌っています。なんでこんなに評判悪いんでしょうね。

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『暴力の舟』
 これは本格的デビュー作である「その言葉を」と双子をなす作品である。つまり、両作品の語り手の「僕」は、どちらも僕自身と同じ歳である。「その言葉を」も「暴力の舟」もともに、「僕」の4年間の大学生活を描いている。すなわち1976年から1980年である。二人の「僕」はむろんフィクションのなかで別の人物であるが、どこかで似通ったことろもあるだろう。

 このときは、珍しく、取材旅行に行きました。といっても、山形県は庄内平野の実家から近い、日本海に浮かぶ飛島という島に一泊で行っただけですが。この島は、釣りの名所だそうで、民宿や旅館もけっこうあるが、僕が訪れた3月初頭、フェリーから降りた観光客は僕ひとりでした。島の西側には手つかずの天然の磯が残っていて、また植生がタブ林帯ということもあって、風景がなかなかエキゾテイックです。蛸が旨い。

 これも「その言葉を」とおなじく、70年代の青春を鮮やかに描ききった傑作、ってことになるんでしょうが、まったくそのとおりだと思います。人は青春が失われたと感じたとき書き始めるのだという説があるけれど、一理ある。もっとも、青春なんて言葉はもはや死語なのかもしれませんが。

 別に70年代の青春なんて興味ないや、関係ないし、という人も、十分に楽しんでいただける内容だと思います。けっこう笑えるし。書いた本人がここまでいうのだから、たしかです。
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