2002/01/26更新 私の禁煙日記(3)
2002/01/12更新 お正月にガオレンジャーを観に行く(1)
2002/01/03更新 有馬温泉探訪記(4)
2001/12/20更新 有馬温泉探訪記(3)
2001/12/16更新 私の禁煙日記(2)
2001/12/13更新 有馬温泉探訪記(2)
2001/11/22更新 有馬温泉探訪記(1)
2001/10/28更新 私の禁煙日記(1)
 私の禁煙日記(3) 2002.1.26 更新 
 我が禁煙生活もとうとうとう6カ月を経過した。6カ月といえば半年。まったく凄いもんである。これはもはや禁煙に成功したといっても過言ではあるまい。とは思うのだけれど、これがなかなか世の中甘くない。というのは、6カ月経って、いっこうに煙草を吸いたくなくならないのである。つまり吸いたい。思いきり吸ってみたい!つい先日も、近畿大学でいとうせうこう氏と公開対論をしたのだが、そうした高いテンションが必要なイベントの前後はとくにいけない。吸いたくって仕方がない。いとう氏もずっと禁煙していたのだけれど、武道館ライブでもって、吸わざるをえない状況に追い込まれたと語っていた。

 我慢。とにかく我慢。だが、いつまで我慢すればいいのか。いつになったら、「私は煙草をやめました」と晴れ晴れと語れるようになるのか。「苦しみは一生のあいだ続くのである」と批評家K氏は私に宣告した。かつて禁煙を幾度も反復し、こと禁煙については、近代資本主義やカント、マルクスの研究より深い洞察を誇るK氏はさらに、半年くらいではとても禁煙なんて呼べる代物ではないと語った。
 「しかし、一生涯、ずっと煙草が吸いたい状態が続くんだとすると、少々つらすぎませんか?」
 私がいうと、そのとおりと、K氏はただちに首肯した。
 「地獄は一生続く」
 「しかし、それじゃ、あんまり希望がないのでは」
 「だいたい君は絶望が足りないから駄目だ。半年くらいでいい気になっていては見込みはない。予言しよう。君は一年後には絶対にまた吸っている」
 「・・・」
 「禁煙は不可能だという事実を直視するところから真の禁煙ははじまるのだ。だからまずは絶望しきらなければだめだ。所詮君は禁煙初心者にすぎない。まるっきり甘い」
 「・・・」
 私は絶望した。禁煙の痛苦には果てがない。そのことに絶望した。どうやら禁煙とは生涯の課題であり、重荷であるらしい。ああ、いやだ。もう、いやだ。ええい、吸ってやる。こうなったら思いきり吸ってやる! 私は自棄になった。かくして我が禁煙生活は、最大のやまを迎えたのであった。(続く)

 お正月にガオレンジャーを観に行く(1) 2002.1.12 更新 
 正月の3日、後楽園遊園地へガオレンジャー・ショーを観に行った。ひとりで行ったのではない。いくら私が物好きでも、ひとりでガオレンジャーは観に行かない。家族3人で行ったのである。むろんガオレンジャーに最も強い関心を寄せているのが、4歳になったばかりの息子であるのはいうまでもない。彼は現在、ガオレンジャーに夢中であり、通っている保育園の園児らと徒党を組み、終日ガオレンジャーごっこにいそしんでいるときく。

 日頃息子はガオブルーないし、ガオレッドの役柄を演じているとのことで、演技に更なる迫真性と奥行きを加えるには、やはりTVを観ているだけでは駄目だ、是非とも本物に会う必要があると、本人はべつにいわなかったが、母親が、つまりツマが、息子のために気をきかせた。新聞屋がくれた遊園地の割引券があったこともツマの心を動かしたんだろう。正月休みに一回くらいは子供をどこかへ連れていってやろうとの考えもあった。

 で、行った。考えてみると、後楽園なんて、何十年ぶりである。ドームになる前の後楽園球場へは野球見物に行くことも昔はあったが、ドームになってからは一度もない。まして遊園地となると、たしか小学校5年生のとき、一度親戚と行ったきりである。だいたい私は子供の頃から、遊園地一般が嫌いであった。とりわけジェットコースターの類は、わざわざ乗ろうという人の気がしれなかった。もっと無難な、コーヒーカップのごとき乗り物だって、出来れば近づきたくなかった。だから自分に子供ができるまで、遊園地を訪れた回数は全部で5回を出ない。それも進んで行ったのではなく、友達に誘われてどうしても断りきれぬなどの、よんどころない事情のゆえであった。

 一方、ツマはどちらかといえば、遊園地好きの女である。だから、ときに夫をそそのかし、遊園地へ連れ出そうと企むこともあったが、大抵は失敗した。いや、そういえば、一度だけ、夫婦で東京デズニーランドへ行ったことがあるのをいま思い出した。あのときは、そう、私の誕生日であった。誕生日には夫婦でどこかへ遊びに行くべきである、というのがツマの結婚以来の信念であって、どういう信念なのか分からない面もあるが、信念で迫られては抵抗は難しく、結婚一年目には、百草園に梅を観に行った。思えば渋い選択だ。金婚式間近の老夫婦のようだ。ちなみに私が生まれたのは2月である。

 で、2年目になって、前年の百草園の梅は渋すぎたかと反省し、水族館くらいがいい塩梅かなと思っていると、ツマが東京デズニーランドを提案した。むろん私は即座に却下した。そもそも遊園地が嫌いなところへもってきて、デズニーランドでは何時間も行列するのが当たり前、料金は馬鹿高く、しかも弁当を持っていくと叱られるという悪い評判を色々な人から聞いていた。なんで弁当がいかんのだ。冗談じゃない、エラソーにすんな、と私は内心穏やかならざるものを抱いていたのである。するとツマは、作家という者は好奇心がその活動の原動力と聞く、ならばデズニーランドなるものを一度くらいは観てやろうくらいの気概が君にはないのかね、はん? と迫ってきた。そういわれると、同じく文句を云うんでも、実際観てから云うのが筋かと思えてきて、じゃあ仕方があるまい、ふん、まあ、どうせロクな所じゃあるまいが、一度くらいは行ってやろうと考えを変え、寒風吹きすさぶなか千葉までのこのこ出向いて、酷い目にあった。どんな目にあったかは本論の趣旨ではないので省くが、とにかく遊園地などには決して近寄るべきではないと、私は考えていたのだ。

 ところが、子供が出来てからは、私も遊園地に対し、少し気持ちが軟化した。ことに一昨年、奈良にしばらく移り住んだときには、遊園地のそばに暮らしたこともあって、あやめ池遊園地なる所へ何回か行った。ツマは喜んだが、しかし、息子もどうやら遊園地はあまり好まない様子である。さすがは我が血筋の者だ。エライぞ。私はほくそ笑み、ツマは悔しがったが、息子と私が組めば、家庭内多数決ではツマには分がない。「遊園地なんか行きたくないよねー」と私が問えば、「行きたくないー」と打てば響くように息子は答えるのであった。ふふふ、勝ったな。と、密かに笑っていたら、さすがはツマだ。陰謀をめぐらせてきた。その陰謀というのが、つまり、ガオレンジャー・ショーである。遊園地は嫌いでも、ガオレンジャー・ショーとなれば話は別だ。息子は行く行く行くと大はりきりである。こうして段々と遊園地に慣らして、ついには息子を遊園地好きの子供に改造洗脳しようとの企みに違いなかった。汚い手だ。そうは思ったものの、有効な反撃手段を見いだせぬまま、年末から元旦2日と、だらだら過ごして、とうとう3日を迎えてしまった。その日の午頃、東小金井から中央線に乗った親子三人は、四谷で乗り換え、水道橋の駅に降り立ったのだった。(続く)

 有馬温泉探訪記(4) 2002.1.3 更新 
 次のゲーム、私のスコアは少し持ち直して124。その次は、ついに98に下落。ここらで気づいたのだけれど、つまり私は疲れてきたのだ。ここまで5ゲームを投げたわけだけれど、私は生まれてからこんなに続けてボーリングをした経験はない。疲労ゆえか、途中からみるみる集中力をなくしていくのが自分でもわかった。最後なんか、もう、スコアなんかどうでもいい、ちゃっちゃっと終わってしまいたいと思いました。そうなると、なんで自分はこんな温泉街なんかで、仕事でもないのに、こんなふうに球を投げていなければならんのだろうと、急に反省されて、ますます気持ちが投げ遣りになってしまう。なんでおれはこんなことをしているのか。気持ちが腐ってくる。ああ、馬鹿馬鹿しい。もう、やめた、やめた。だいたいが、あれですよ、ボーリングに勝ったって一銭の得にもなりゃしないんだし。

 おっさんは着実にスコアを伸ばしているようである。この人は、私が来る前から投げていたから、少なくとも6ゲームは続けてやっているわけだ。いくら同好会だからって、投げ過ぎだろう。ふふん、君は、一生そうやって投げていたまえ。そうやって、一生のあいだ、役に立たないことに貴重な時間を浪費していたまえ。一方の私はこれでけっこう忙しい身なんだよね。いろいろとあって、実は球なんか投げている場合じゃないんだよね。悪いけど、君の相手なんかしてられないの。

 で、やめようとして、が、ここで思い出したのは料金である。3ゲームで千円。こいつは安いと思ってはじめたんであるが、現在は5ゲーム。それでも料金は2千円。つまり私はもう1ゲームを行う権利をすでに有しているわけだが、この権利は次回に持ち越すことはたぶんできないであろう。となると、ここでやめた場合、一回ぶんをまるまる損してしまう。これはいかにも悔しい。私は悩んだ。悩んだすえ、やっぱりもう1ゲームやることにした。

 で、投げた。しかし、このボーリングってやつは、いったいなんなんでしょう。全体に馬鹿馬鹿しすぎないか。ごろごろ、がしゃーん、ああっ、割れちゃった、難しいスプリットが残っちゃったな、とりあえず2本だけとっておこうかな、ごろごろ、ああっ、真ん中いっちゃったよ、がびーん。って、アホらしくないだろうか。いや、絶対確実にアホらしい。でも、権利は権利だから仕方がない。ははは。とにかくさっさとやっちゃおう。ごろごろ、ごろごろ。おっと端っこの一本か。まあ、無理だろうな。ほら、やっぱり無理だった。はは。さあ次、さあ次。とっとと終わろうよ。ごろごろ、ごろごろ、ようやく10フレ。はい、おしまい。

 じゃあね、おっさん、あんたとは二度と会うことはないだろう。さよなら有馬温泉の同好会の人たち。私は独りレーンを去った。ボールを戻して、靴を返して、料金を払って、ああ詰まらなかった、ホテルに帰って風呂でも入ろうと、帰りかけたが、なんだか不満足というか、不完全燃焼というか、気持ちが半端である。と、ボーリング場に隣接するゲームセンターが眼に入った。これだ、と私は手をうった。いま自分はゲームをすべきときだと直覚した。長い人生、ゲームセンターのゲームをすべきときは限られている。その限られたときが「いま」だと思った。私はゲーム方面へと迅速に歩を進めた。(続く)


 有馬温泉探訪記(3) 2001.12.20 更新 
 おっさんの第1投は、1本を残してカウント9。球筋はずいぶんといい感じに見えたが、ふふん、所詮は爆発力のない男だ。さて、私。ここは景気づけの意味でも、絶対にストライク、と思ったら、りきんだせいかバランスを崩し、気づいたときには、右の溝へ球はごろごろ。愕然。いきなりのガーターである。やはり急に球を重くしたのが間違いだったとすぐに悟った。少しアガっていた気もする。だが、ゲームはまだはじまったばかり、先は長い。と、このあたりの気持ちの切り替えの速さが、私の身上である。球をもとのやつに取り替えて、第2投は、ほらほらほらね、見事にストライク。というかスペア。あっというまにミス帳消し。おっさんのほうも、地道にスペアをとっている。

 第一フレームは点数互角。しかし内容は天地ほども違う。向こうは地味だが、こちらは派手。向こうが居酒屋で演歌なら、こっちはクラブでファンク。我がたのみの爆発力という観点からみた場合、当方に軍配が上がるのは誰の目にも明らかだろう。ははは。どうだね、おっさん。参ったかね。と内心で嗤いつつ、迅速に第2フレームへと進む。

 しかし、先刻から気づいていたんだけれど、独りでやるボウリングというのは、なんだかとっても忙しい。座って下さいとばかりに椅子は並んでいるのに、すぐ自分が投げる順番になってしまい、というか、なにしろ独りきりなので、尻をつけている暇がない。ゆったり椅子に腰掛け缶コーヒーなど飲み、勝利の予感をしみじみ味わいたいな、なんて思ったけれど、そういう余裕がないのが残念だ。それに、椅子がもったいない、というか、座る者がなくて虚しい感じがする。右隣の女子高生たちが座ってくれたら、さぞかし椅子も喜ぶだろうと思ったけれど、そんな夢みたいなことを考えてもはじまらない。工場で働く人みたいに黙々と球を投げる。

 で、第2フレーム第1投は、カウント6でスペアとれず。第3フレームも同じ感じ。スペアがとれないのは、最初から折り込みずみだけれど、どうもストライクがこない。かつて60年代、ボウリングブームが到来し、あちこちにボウリング場が出来た時分、私は小学生で、自分で投げる機会はあまりなかったけれど、TVはよく見た。中山律子さんが、といっても若い人は知らないと思うが、彼女がパーフェクト達成したのもTVで見て感激した。それで、見るところ、ストライクってのは、ど真ん中に球が行けばいいというものではない。ポケットとか呼ぶ、先頭のピンより少しばかりずれた部位に当たるのがよいのだった。って、別にそこを狙えるわけじゃないから、さような理屈はこの際どうだっていい。問題は先頭のピンだ。ピラミッド型に並んだ先頭のピンに当たらない限り、10本すべてが倒れるはずがないとは、子供でもわかる理屈である。だが、その先頭にどうしても当たらないのだ。なんでだ。どうしてだ。今度こそは、次こそはと、いくら神経を集中させても駄目。

 途中、6フレームでストライクは出たものの、単発。連打にはならず。あとはスペアをとったりとらなかったり。全体に鳴かず飛ばず。スコアは危うく2桁に転落しかけたところ、最終フレームでまたストライクを出して、ようやく3桁をキープした。すなわち103。さあ、練習終わりっと。私は呟いた。そうそう、いまのは練習。フォームの感じ、およびレーンの具合を見ようと思っただけなんだよね。うん、そうね、だいぶん掴めてきた気がする。よし、じゃ、次、本番行ってみようか。と、私は残りの缶コーヒーを飲み干した。ちなみに、おっさんのスコアは173。なかなかヤルけど、まあ、大したことがないといえばない。どっちにしろ練習だし。練習でいくら高得点をあげてもね。本番で力が発揮できなきゃ意味がない。椅子に座った私は、トイレ方面へ向かったおっさんの帰りを静かに待った。(続く)

 禁煙日記(2) 2001.12.16 更新 
 禁煙5カ月目。イェイ。こんなに簡単に煙草がやめられるとは思わなかったぜ、と喜んではみたものの、いつになったら煙草の味が忘れられるのか分からないのが困る。いまのところ、煙草が吸いたいと思う瞬間は、一日に何度も訪れる。そのたびに強靭な意志力でもって我慢しているわけだけれど、いったいいつになったら、ホント、煙草を忘れられるんでしょう。

 先日は、夢のなかで煙草を吸ってた。そういう夢をきっとみますよ、と断煙経験者がいっていたが、本当だった。立食式のパーティー会場に私はいて、誰かと歓談しつつ煙草を吸っている。ああ、おいしい。と思ったとたん、しまった、禁煙してたんだと、急に思い出した。大いに狼狽しつつ、吸殻をあわてて灰皿に捨てて、まわりを窺えば、誰も私を咎める様子がない。そんなことどうだっていいじゃん、という風情で、御歓談を続けている。しかし、よくよく観察してみれば、ふふ、こいつ、とうとう煙草を吸いやがったな、ふてえ野郎だ、あとでみんなにいいふらしてやろう、と笑顔の裏で密かに考えているようなのだ。私は非常に苦しい気持ちになった。冷や汗が流れた。もう駄目だ、身の破滅だと観念した、そんな夢だ。

 夢のなかで私が吸っていたのは、クレオパトラという銘柄の紙巻き。エジプトの煙草である。昔、エジプトへ旅行したとき、気に入ったものだ。日本に帰ってから、是非手に入れたいものだと思い、専門店へ行ったら、クレオパトラはあったが、輸出用だからなのか、パッケージが違っていた。だから、現地で吸ったクレオパトラには、残念ながら、その後お目にかかっていない。どこかに行けば手に入るんだろうかって、私にはもう関係のない話でした。 

 以前は、海外へ旅すると、現地の煙草を吸ってみるのが楽しみだった。はじめて訪れた国や街で、まず買い物をしてみるのを見知らぬ土地へ馴染む第一歩とする旅人は多いと思うが、私は必ず煙草を買った。それで、カフェかなにかに入り、飲みものを注文し、道行く異国の人たちを眺めつつ一服つけるのを無上の歓びとした。クレオパトラ以外にも気に入った煙草はいろいろとあって、イスラエルのタイムなんてよかったな。

 そういう点からして、米国は駄目だ。あれはいかん。ほとんど煙草を吸えるところがないのだからね。煙草が健康に害になるのは分かるが、べつに人は健康のために生きているわけじゃないだろう。あの国の極端さというのは困ったもんだ。いまのうちになんとか手をうたないと、喫煙者支援国家だってんで空爆されるかもしれない。もっとも煙草産業という点からすると、米国自身が有力な喫煙者支援国家だけど。こってりした食事の後、甘いデザートを少し食べ、強い酒と珈琲を飲む。とくれば、次は強い煙草。と思ったら、禁煙で吸えないのは情けない。って、いまの私にはもう関係のない話ですけどね。

 そうした場合の煙草は、やっぱり1ミリグラムじゃもの足りない。ニコチン、タールともに10ミリはないと、って、私には関係のない話なのだ。禁煙はなお続く。

 有馬温泉探訪記(2) 2001.12.13 更新 
 ところで、私のボウリングの腕前はどんなものかといえば、スコアでいうと、平均で120くらいである。調子がいいと(といってもボウリングなんて、年に1、2回しかやらないが)、130台から140を窺う勢いとなり、油断すると100台に下落し、それでも二桁まで落ち込むことはまずない、といった程度である。端にピンを一本残した場合、スペアをとる自信はまずないが、といって全然とれないかといえば、そうでもない、といった感じである。

 一方、おっさんは、同好会。スポーツマンにあるまじき妙にくねくねした変則フォームとはいえ、見ているとスペアはまず確実にとれているようである。となると、普通に考えて、当方に勝ち目はありそうもない。絶対勝ってヤル、などと力むだけ馬鹿に見える。だが、私だって、最初から勝ち目のない戦いを挑むほど間抜けではない。この時点ですでに私は、おっさんの弱点を確実に見抜いていたのである。

 その弱点とは、ストライクが少ないことである。やはりこれは、くねくねフォームが災いしているのだろう。スペアをとるのはたしかに巧いが、爆発力はないとみた。小手先の技術はあるけれど、全体に骨太なところがない。ふふん、所詮は小賢しいだけのボウリングだ。たいしたことはないな。と私はすでに見切っていたのである。

 ただ、ひとつ問題なのは、私自身、あまり爆発力のあるタイプではないという点だ。つまり、私もストライクが少ない。しかし、これは、そもそも私がストライクを出そうという気が薄いことに由来する。なぜストライクを出す気が薄いかというと、なんだか、あのストライクというのは、馬鹿な感じがするからだ。思うに、世の中、ストライクを出して欣喜雀躍する人間くらい馬鹿に見えるものはない。投げた人間だけではない。あの10本のピンが倒れる様子そのものがひどく馬鹿だ。非常に速度の大きい球が、何物かを破壊するかの勢いで、バンと10本を弾け飛ばすのもずいぶん馬鹿だし、緩いへなへな球が、パタパタという感じでだらしなく10本を倒すのも馬鹿である。

 けれども、ここは勝負だ。あえて馬鹿になろうと私は決心した。馬鹿でいい。とにかくストライク狙いに徹しよう。大リーグ1年目、単打狙いに徹したイチローを見よ。勝負事では徹底が大切である。私はボールをやや重めのものに変えた。ストライクを出すなら、球の質量が大きい方が有利だろうと計算したのである。私は缶コーヒーなど飲んで、気持ちを鎮めつつ、おっさんが新しいゲームをはじめるのを待った。(続く)

 有馬温泉探訪記(1) 2001.11.22 更新 
 関西に二三の用事があって、あいだに丸1日あいてしまった。どこか温泉にでもと思いつき、有馬温泉へ行くことにした。神戸のホテルで、有馬グランドホテルというのを予約して、電車で向かったら、午過ぎにはもう着いてしまった。ホテルにチェックインして、さて、風呂に浸かるには早すぎるし、他にすることもないし、少し散歩でもしようと表へ出た。

 それにしても、有馬温泉というのは何もないところだ。何もないといったって、むろん温泉旅館はある。土産物屋もある。駅もあるしバスターミナルもある。山もあれば川もある。一体何があれば、「何もない」ことにならないのか、よく分からない面もあるが、とにかく何もない。15分も歩いたら、温泉街を一巡りして、もう歩くところはない。もちろん山から山へと奥深く分け入れば、1週間でも1ヶ月でも歩き続けることは可能であるけれど、こちらは疲れている。そんな気にはならない。仕方がない、そろそろホテルへ帰ろうと思ったら、ごろごろと遠雷のごとき響きが耳に届いた。

 何事なりや、と耳をそばだてて、見れば不審な音は、我が背後にしたコンクリの廃屋から響いてくる。と思ったら、その廃屋と見えたものはボーリング場であった。ごろごろはいうまでもなく床を行く玉の音であり、つまり営業中なのだったが、見たところは、廃墟となった工場のごとく、寂れきっていのだった。ひとつボーリングでもして時間を潰すかと、私は考え、鼠色の四角い建物へ入っていけば、なかは普通平凡のボーリング場であって、十ほどのレーンは半分ほどが埋まっている。こんな週日の昼間っから、世の中暇なやつはいるもんだと、呆れつつ、私はカウンターで手続きをし、靴を借り、ボールを選って、レーンに立った。

 で、まあ、普通に投げてた。右隣は女子高校生らしい四人のグループで、楽しそうに遊んでいる。渋谷あたりで見かける、人生投げきってますと、声高に宣言するかのごとき風情の女子高生とは違い、醇朴かつ明朗な子供たちである。この娘たちと一緒にボーリングが出来たらさぞや愉快だろうと思ったものの、そんな夢みたいなことを考えたってはじまらない。独り黙々と投げてた。左隣はおじさんである。彼も独りで投げているが、さらに左の一画を占拠した集団と仲間であるらしく、それが証拠に、みんなお揃いのユニフォームを着ている。なんというか、妙にぺらぺらの生地の、コカコーラの販売員のごとき、ってどんなイメージだかよく分からんが、ボウラーがよく着ている例の服である。つまりは地元のボーリング同好会か何かの人たちだと推測された。

 おっさんは、手にはグラブなどはめ、さすがは同好会、結構巧い。ボールをやたらとカーヴさせるところが、憎い。ただ、そのカーヴのかけかたが、小賢しいというか、不自然というか、得物を狙う猫のごとく、腰から上半身が妙にくねくねするところが、どうも納得できかねるものを覚えた。とはいえ、こんなところで他人であるおっさんの投球フォームを批評していても仕方がない。むしろ、私は、おっさんがストライクを出したりすると、ナイス! なんて声を掛けたりして、さりげない無関心を基調にしつつも、友好的態度を前面に押し出す態度でこれに接した。

 こう見えて、私は結構、ホスピタリティーのある人間なのである。隣のおっさんとは、ぼこっと音をたてて穴からボールが出てくる台も共有している。とすれば、見ず知らずの者同士とはいえ、一緒にプレーしているも同然である。難しいスペアをとれば、ナイスカヴァー! くらいはいって、場を盛り上げるのが人の道との心得が私にはある。ところがだ。信じがたいことには、このおっさんボウラーは、完全に私を無視した。私としてはだ、イェイ、ナイス! なんて声をかけられたら、いやあ、などと照れ笑いを浮かべつつ、でも得意を隠せず、椅子方面に戻ってくるおっさん、という絵柄を期待していたわけである。さすれば、いやあ、お上手ですねえ、くらいの台詞は当方だって次に用意している。だが、無視。委細、無視。あたかもそこには存在しない人間であるかのような扱い。たしかに私はよそ者だ。関東の人間だ。関東ローム層の赤土にまみれた男だ。しかし、だからといって、こんな扱いがあっていいのか。

 私はにわかに激昂した。怒った。そうしてやり場のない怒りをプレーにぶつけた。ボーリングの点数は、天井から下がったモニターに表示される。当然、我が点数も、隣のおっさんの点数も並んで表示される。絶対に勝ってやる。私は心に誓った。私ははっきりいってボーリングは素人だ。かたや、おっさんはセミプロ、ではないにしても同好会。ふふふ、同好会の人間が、たかが素人に負けたとあっては、面目は丸潰れになるというものだ。勝ってやる。負かしてやる。恥をかかせてやる。私の闘魂は燃え上がった。私はおっさんが新たなゲームをはじめるのを待って、ほぼ同時にゲームを開始した。
さて、勝負の結末は。(続く)

 私の禁煙日記(1) 2001.10.23 更新 
 19歳の頃から煙草を吸いはじめてから20数年、私は煙草をやめようと考えたことは一度もなかった。タール1ミリグラムとはいえ、一日80本は平気で吸ってた。それでなお食欲旺盛、元気溌剌、たまに風邪をひくくらいで、しごく健康であった。私はそもそも煙草が好きなので、禁煙する気などさらさらなかった。

 その私がだ。ついに禁煙した。煙草を絶ったのが7月の半ば、現在10月26日。すなわち3カ月以上の期間、一本たりとも火をつけず、一煙たりとも胸に吸い込んでいない。いまの感じだと、このままずるずると非喫煙者になってしまいそうな勢いである。

 きっかけは、あった。歯医者である。私は元来歯が駄目な質のだが、7月に歯医者へ行ったところ、根本的に治療する必要ありと宣告され、続いて歯科医はこういった。「今後治療を進めていくにあたって、煙草だけはやめていただきます」

 無理だ、と私は思ったものの、そうもいいずらいので、いちおう禁煙するという方向で考えはするものの、いきなりというのもなんだし、そこは、それ、本数を減らすとかなんとか、少しくご相談申し上げたいと、いおうと思ったのだが、そのとき私は口を開けていたために、ただ頷くしかできなかった。口を開けていたのは、むろん治療中だったからで、私の歯及び歯茎をいろいろしながら、なお歯科医は、「約束して頂けますね」と畳み掛けてきた。約束たって、そう頭ごなしにいわれても、と思ってはみても、やっぱり口はあいている。とうとう頷いてしまいました。

 こうなったら、じゃあ、ひとつ禁煙でもしてやろうかと、歯科医院を出たときには、とりあえず威勢よく呟いた。で、少しだけ我慢してみた。一時間経ち、二時間経ち、驚いたことに丸一日が経過した。が、この段階では到底禁煙は無理と考えていた。だから書斎の机の灰皿は片付けなかった。買い置きのマイルドセブン1ミリグラムも捨てなかった。禁煙することになったと報告した夫に、ツマは10万円を賭けるといった。もちろん失敗するほうにだ。「一月間禁煙できたら10万円あげる。できなかったら10万下さい。どう?」。邪悪に笑いつつツマは誘った。私はしばし思案し、「また今度にする」と賭けを鄭重にお断りした。

 それがだ。ついに禁煙三ヶ月。この成功の秘訣はただひとつ。私における強靭な意志の力である。ありあまるほどの克己心である。禁煙パッドだとか、ニコレットだとか、さようなグッズに頼る必要もない。やめる、と思ったら、やめられる。いやはや、嫌になるくらいに意志の強い男なんですね、私は。克己心は全然ないと思っていたが、これは間違いだった。つまり、かつて一度も克己しようとした経験がなかっただけで、いったん克己しはじめたら、もう克己しまくってしまうのですね。考えてみると、詰まらない人間だ。わかっちゃいるけどやめられないところが人間らしいのだとしたら、私は、ほんと、悲しいくらいに人間味がない奴だ。なにせ、一回禁煙しようと思ったくらいで、本当に禁煙できちゃうんですからね。「いやー、別に煙草やめようなんて、本気で思ってなかったんだけどさ、なんかちょっとやめてみたら、簡単にやめられちゃってさ。なんかさ、つまんないよね、意志の力が強すぎるってのも」と会った友人に、悲しみを瞳に湛えつつ語る今日この頃である。

 それにしても煙草をやめるといいことがいっぱいあった。まず何より驚いたのは、鼻毛が伸びないことである。煙草を吸っていた時代には、毎日鋏で切らないと、鼻毛がつんつんと、春先の土筆みたいに鼻の穴から飛び出してしまったものだが、いまは平気。鼻毛も身体を煙から守ろうと、ケナゲに努力していたんですね。

 ところで、この禁煙状態はいつまで続くのだろう。現在は煙草はときどき吸いたい。むちゃくちゃ吸いたいときもある。むろんそのたびに強靭な意志力でもって欲望を押さえつけている。そのうち全然吸いたくなくなるのか。煙草を見ただけで嫌悪にうち震えるようになったりするのか。あるいは、もとのもくあみ、再び喫煙者の輪に加わるのか。またいずれ報告します。

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